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川淵三郎の経歴や学歴などのwikiプロフ!年収が凄くて6000万?

2021年2月11日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任意向を伝えました。

その後任として予定されている川淵三郎さんが話題ですね。

ところでこの川淵三郎さんという人は一体どんな人なのでしょうか?

という訳で、今回は

川淵三郎の経歴や学歴などのwikiプロフ!年収が凄くて6000万?

として

  • 川淵三郎さんの経歴
  • 川淵三郎さんの学歴
  • 川淵三郎さんの年収

について調べていきたいと思います!

川淵三郎のwikiプロフィール

川淵三郎のwikiプロフィール

名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)
愛称:キャプテン、槍のかわぶち
生年月日:1936年12月3日
年齢:84歳(2021年2月時点)
身長:172cm
体重:72kg
出身地:大阪府高石市

奥さんと2人の娘さんとの4人家族ということで、お孫さんもいらっしゃるようです。

川淵三郎さんのTwitterにも時折登場しています。

奥さんについてはあまり詳しい情報はありませんでしたが、川淵三郎さんは1962年12月の26歳の時に結婚しています。

2人の娘さんの年齢はそこから計算すると大体50歳代位になるかと思われます。

川淵三郎の経歴は?:多すぎて書ききれないほどの経歴

川淵三郎さんの経歴は以下になります。

高校時代からサッカーを始め、日本代表に選出されるまでになります。

1958年:日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝
1959年:ローマ五輪アジア予選出場
1960年:第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。
1961年:早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。
横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。
1962年:インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。
1964年:日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げた。
1970年:現役引退(日本代表通算68試合、18得点)
1972年:古河電気工業サッカー部監督就任(1975年に退任)
1976年:日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年に退任)
伸銅事業部第1販売部課長
1980年:日本代表監督代行就任(1981年に退任)
1982年:古河電気工業・名古屋支店金属営業部長
1988年:日本サッカー協会理事就任
1991年:Jリーグ設立、初代チェアマン就任(2002年に退任)
古河電気工業退社
1994年:日本サッカー協会副会長就任
2002年:日本サッカー協会会長に就任(2008年名誉会長→2012年最高顧問→2018年相談役)
2010年:日本サッカーミュージアム館長に就任。
2015年:日本バスケットボール協会会長に就任、日本トップリーグ連携機構会長に就任
2019年:一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任、東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任

そして2021年2月、森喜朗の辞任に補う東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任予定となっています。

サッカー日本代表時代の通算成績は68試合、18得点という輝かしい成績を残されています。

引退後は

  • Jリーグ:男子サッカー
  • なでしこリーグ:女子サッカー
  • Bリーグ:男子バスケットボール
  • Wリーグ:女子バスケットボール
  • Vリーグ:ハンドボール
  • ハンドボール
  • ラグビー
  • アイスホッケー
  • ホッケー
  • 女子ソフトボール
  • フットサル
  • アメリカンフットボール

と言った様々スポーツ競技の協会の改革に取り組まれています。

その中でも、特に約10年の間2つに分裂していた日本のバスケットリーグ(JBLとbjリーグ)をたった2ヶ月でBリーグという1つにまとめ上げた功績はあまりにも有名です!

素晴らしい経歴ばかりですね!

川淵三郎の学歴は?:サッカーデビューは以外にも高校生から

川淵三郎さんの学歴は以下となります。

小学校:大阪府高石町立高石国民学校
中学校:大阪府高石町立高石中学校
高校:大阪府立三国丘高等学校
大学:早稲田大学第二商学部商学科

小中学校は放送局に通い放送劇に出演するほど演劇に打ち込んでいたそうです。

さらに中学校ではサッカーではなく野球部に所属していたそうで、以外にもサッカーデビューは高校に入った時から、ということでした。

人に誘われる形で入ったサッカー部も「汚れるし痛い」ということで退部を考えるも「遠征で色んな場所に行ける」と口説かれて引き止められたそうです。

元から運動神経が良かった川淵三郎さんはそこから、大学でもサッカーを続けることとなり日本代表にまで上り詰めました。

川淵三郎の年収は?

そんな輝かしい経歴を持った川淵三郎さん。

さぞかし年収も凄いのだろうと調べてみました。

ちなみに、無給の名誉職だった日本サッカー協会の会長は川淵三郎さんの10代目の時点から有給となり、その時には推定年収がが3000万位だと言われていました。

その後に就任した14代目の田嶋幸三さんの年収も3000万円位と噂されていましたのでほぼ間違いはないでしょう。

現在の年収については詳細な情報はなかったのですが、現在川淵三郎さんは様々な顧問や協会に就任しています。

また、今回の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任での年収は5000万円〜6000万円程になるのではないかとも噂されているようです!

今年で84歳となる川淵三郎さんですが、前任の森喜朗さんと比べると肌艶もよく元気なイメージですね!

是非、東京オリンピック・パラリンピックが今後いい方向に向かっていくことを期待しましょう!